14歳でセルアニメを作ろうとした。友人の描いた背景画。「Dear you」1分15秒だけのセルアニメだった。フィルム紛失
14歳の頃から始めた自主映画作り、これが「姫太郎フィルム」。GAINAX の前身(ゼネラルプロダクツやDAICONFILM との交流が始まった)表紙はメンバー。
会報に描かれた、後輩であり「姫太郎フィルム」スタッフをしてくださってた、「やぶうち優」さんのイラスト。やぶうちさんは13歳で、少女漫画誌「ちゃお」でデビュー。つまりスタッフのなかにプロの漫画家がいたわけ。
岡田斗司夫さん、武田康廣さん、赤井孝美さん、山賀博之さん、など大絶賛! 中学生自主映画「愛校戦隊オーメンファイブ」、そして「子豚戦隊ブーフーウー」。この「ブーフーウー」の岡田斗司夫さん、赤井孝美さんの感想が↓の音声です。


https://youtu.be/DNQB6YvOtPk


↑愛校戦隊オーメンファイブ第一話


https://youtu.be/YGEKU5dISNc


↑愛好戦隊オーメンファイブ第二話


https://youtu.be/H22zb5mBfJE


↑愛校戦隊オーメンファイブ完結編

遂にオーメンロボ登場!

https://youtu.be/E5vKdonA3E0


↑子豚戦隊ブーフーウー

高校1年生の時、岡田斗司夫さんが「姫太郎フィルム」の自主映画出演のため、荒木スミシの実家にいらした時のサイン。
全国のオタクにとって超貴重音声↓


岡田斗司夫さんと赤井孝美監督による青年時代の自主映画「子豚戦隊ブーフーウー」↑を褒めまくる。そして中学生自主映画に「映画出してね」と岡田斗司夫さんが言い始める。(場所、大阪桃谷にあったSFショップ、ゼネラルプロダクツ。このゼネラルプロダクツが原点になり、GAINAX が生まれ、そしてエヴァンゲリオンがやがてつくられる。

参考には島本和彦さんの漫画「アオキホノオ」をお薦めします。


https://youtu.be/XVXT8LU57h8
そして作られるGAINAX 初代社長、岡田斗司夫さん出演の自主映画「大仏神」、制作、姫太郎フィルム

「大仏神」前編

https://youtu.be/hStymcf27ZA

「大仏神」後編

https://youtu.be/5OToN2ykg5A
自主映画「大仏神」のパンフレット
「ゆうがお」(日本8ミリ映画準新人賞)

https://youtu.be/2IW99WkJxl0
ペーパーアニメ「琥珀色のファンタジー」

https://youtu.be/nCeYIDQZyw0
やがて高校生になった「姫太郎フィルム」は、高校生初の商業映画、「センチメンタルアドベンチャー」の制作を目指し始めます。未完成ですが、20分ほどあり、現在はフィルムは紛失。

この高校生初の16ミリ映画は赤井孝美監督作品「八岐大蛇の逆襲」の撮影が終了していたため、16ミリカメラをかりました。(映っているのがそのカメラ)制作資金は山賀博之監督作品「王立宇宙軍、オネアミスの翼」制作時のGAINAX と、荒木スミシ(17)が編集•構成した「八岐大蛇の逆襲 メイキング、私、本当に特撮しちゃったの」のギャランティ。
現在はGAINAX 京都の社長、武田康廣さんが先生役で、その撮影時に書いたスタッフノート。
この商業映画を目指した「センチメンタルアドベンチャー」のパイロット上映会が姫路文化会館で行われ、それが「DAICONFILM 」「姫太郎フィルム」の合同上映会。(ゲスト、やぶうち優)
ゼネラルプロダクツ発行の「DAICONFILM の世界」には、庵野秀明監督作品「帰ってきたウルトラマン」には、もとの「ウルトラマン」という短い短編特撮があります。

この「ウルトラマン」を荒木スミシはこの頃、加古川市の「加古川まつり」で上映。会場は満員ながら、ほぼ特撮には詳しくない加古川市の市民で、「?」となります。「DAICON4」このアニメは? となりました。(無茶でした)
やがてGAINAX は劇場映画「王立宇宙軍、オネアミスの翼」の制作に。この時、17歳の荒木スミシは、「八岐大蛇の逆襲」のメイキング編集時、赤井孝美監督、特技監督の樋口真嗣監督のインタビュー撮影をします。

そして「王立宇宙軍」を休学して手伝いたい、と懇願します。しかし「君のお母さんを泣かせるわけにはいかない」となり、帰りの新幹線で泣きます。

この折、高校生の荒木スミシを囲んで、いわゆるオリジナルメンバーが勢揃いした食事会がありました。


岡田斗司夫氏より依頼され、19歳の荒木スミシが提出した企画書。しかし実際にはイメージボードなどを提出するものだとはまだ知らなかった。あっさりボツになり「トップをねらえ!」が制作。

庵野秀明監督からは「おつかれさま」とお言葉。

とにかくGAINAX はもうモーツァルトが10人くらいいます。荒木スミシはその10個くらい下。自分の年齢や、力量なさを思い知り、同時期に「フジテレビヤングシナリオ大賞」の佳作になったフジテレビ第一制作部に「世にも奇妙な物語」の企画「天使が舞い降りた」を提出。しかしまたボツ。


フジテレビヤングシナリオ大賞授賞式。雑誌「ドラマ」掲載。羽佐間社長、大賞の野島伸司氏、山中圭一(本名)
この授賞式の時にお茶に誘っていただいたのが、坂元裕二さん。坂元裕二さんから、「シナリオのト書き(セリフではなく、状況描写)がうまい」との言葉。

やがてこの「ト書きがうまい」は、荒木スミシの原点に。

そもそも荒木スミシは小説は村上春樹と村上龍と、よしもとばななとか読んだことはなく、小説には興味がありませんでした。

しかし阪神淡路大震災がきっかけで、故郷の神戸市近郊の街、加古川へ戻った荒木スミシは「年賀状」がわりに文章を書いてみたら、1年経っても終わらなかった。

結局、シナリオライターのテクニックを使い、小説になっていき、デビュー作の「シンプルライフシンドローム」が完成し、作家の道へと進むようになりました。

そしてGAINAX のご縁により武田康廣氏に幻冬舍を紹介していただき、メジャーデビュー。